地震という刺激

前回のブログで、「もう始まってしまった反応に対してアレクサンダーを用いるのは無理!」と思っていた時期もあったと書きました。今日はそれについてのお話です。

 

18年前の今日、1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こりました。

 

私は、その震災を兵庫県芦屋市で経験しました。朝の6時前、突然ジェットコースターに乗せられたような衝撃で目が覚めました。とにかく、自分の意思に反して身体を揺さぶられる、そんな感覚でした。家は、後々の査定では「一部損壊」とのことでしたが、築20年ほどの一軒家は、いたるところにヒビが入り、家具はめちゃくちゃに倒れ、お皿はほとんど全て地面に落ち、そこら中にガラスの山がありました。和室の土壁にもヒビが入り、そこら中に砂の山が。重いピアノが数センチ移動し、買ったばかりにテレビが床に落ちて割れ、たまたま階段に置いてあったミシンが滑り落ち、電話台を破壊・・・。姉の部屋の人形棚は吹っ飛んでガラスはバリバリに床に飛び散り、タンスがベッドに重なり、後から見ると姉がどこから出てきたのかも分からないほど、家具が重なり合っていました。高いところに閉まってあったウイスキーなどの酒瓶が落下して割れ、階下に下りると不思議なアルコール臭が立ちこめていたのを記憶しています。

 

幸い同居していた家族は、大きなケガもなく、全員無事でした。家は何とか持ちこたえたものの、どの程度ダメージを受けているのかも分からず、その後何度となく襲って来る大きな余震の度に「ガサガサガサッ」と不気味な音を立てました。私たちは、今にも次の余震で家がバッシャンと倒壊するのではないかという恐怖感でいっぱいでした。

 

その夜は、いつ屋根が落ちて来るかも分からないような家で安心して寝られるはずもなく、近くの中学校のグラウンドの中心に車を停めて、車中泊をしました。何しろこの一年で一番冷え込みの厳しいこの時期です。夜の冷え込みは半端なものではありません。家中の毛布を車に持ち込み、身体にぐるぐる巻きにしましたが、それでも凍てつくようでした。狭い車の中、下から何度も突き上げる様に余震を感じました。それでも、上から落ちて来る物がないというだけで安心でき、やっと少し眠ることが出来たのを覚えています。結局それから車の中で3泊寝ましたが、そのような生活も長くは続けられないので、その後は必要な物だけを背負って電車が走っている駅まで6時間ほど歩き、親戚を頼って大阪に移りました。

 

あのような大地震を体験してしまうと、その後「地面が揺れる」ということに対して、自分でも驚くほど反応してしまうようになりました。ほんの小さな地震や、大きなバスやトラックが近くを通った時の揺れなどにも、過剰に反応してしまいます。

 

特に、東京で東日本大震災を経験してからは、自分の地震に対する反応が他の東京に長く住む人々とはかなりレベルが異なることが分かりました。地震を感じると、心臓の鼓動が激しくなり、手足が震えます。実際に叫んだりはしないようにはしていますが、本当は絶叫したいくらいの恐怖心を感じます。それは、条件反射的な反応として始まってしまい、もう自分では止めることが出来ないような感覚でした。

 

東日本大震災は、東京の自宅で遭遇しました。アレクサンダー・テクニークを既に長く学んだ後だったので、このような反応にもアレクサンダー・テクニークを活かすことは出来るだろうということは、頭の隅の方では分かっていました。しかし、東日本大震災の後は、原発のことなどもあり、幼い子供を抱え、考えなければいけないこともたくさんあり、本当に疲れ切っていて、建設的に物事を考える余裕もなく、どちらかというと、余震が来る度に起こってしまう一連の反応に、なす術もなく任せてしまっていたところがありました。

 

その後余震は少なくなりつつも、何ヶ月も続きました。数ヶ月経った頃、学校にアメリカから、キャシー・マデン先生がまた来日しました。そして、キャシー来日中のある朝のクラスで、地震に対する恐怖について話しをする機会がありました。

 

「私は大きな地震を経験したので、ほんの地震に対してでも、手足が震え、心臓の鼓動がとても速くなってしまうのです・・・。」と言った私に対して、突然キャシーは、とても情熱的に、

 

“Good! It’s very good!” (いいじゃない。すっごく、いいじゃない!)

 

と言ったのです。私は、正直ポカンとしました。「グ、グッド?ベリーグッド?みんなが冷静な中、私だけこんなにダメダメなのに、何がグッドなわけ?」と・・・。しかし、キャシー曰く、「それは、自分を危険から守り、その危険から逃げるために必要なアドレナリンが放出された結果起こった反応である」ということらしいのです。つまり、本当の危険を知っている人だからこそ出来る反応であり、その反応のおかげでその人は適切に危険から身を守ることが出来るのだ、と。

 

しばしポカンとした後は、納得したのか、安心したのか分かりませんが、涙がたくさん流れました。結局キャシーには、いつも(良い意味で)泣かされてしまうのです・・・。

 

後からよく考えて分かってきたのですが、私は、自分はあんなに大きな地震を経験したのだから仕方がないのだとは分かってはいるものの、地震の度にいちいち起きてしまう自分の反応を、非常にネガティブなものとして捉えていました。ドキドキ、ワナワナしてしまって、情けない・・・くらいに。

 

キャシーはもちろん、「そんな反応が起きたとき、頭が動いて、あなた全体がそれについて来て、自分はやるべきことをやることができる、と考えたらどうだろう?」と付け加えることも忘れませんでした。そして、そんな反応が実際に起きてしまったとき、何か自分に有効な「バックアッププラン=何か替わりになるプランやアイディア」を持っておくといいだろうとも教えてくれました。その時、私はやっと「地震」という自分にとって非常に大きな刺激にも、このテクニークを応用してみる気になりました。

 

このクラスの後、自分にとってのバックアッププランは何だろうと考えていました。そして、もし地震が来た時に携帯電話を持ち合わせていなかったら、揺れが激しくならないうちに、まずは携帯電話を確保しようと決めました。携帯電話があれば、極端な話、 通信さえ出来れば 生き埋めになった場合でも助けを呼ぶことが出来たり、家族と連絡を取ることが出来るからです。

 

その数日後、キャシーの夜のクラスに参加していた時、起きたのです。本当に地震が・・・。10階にある目黒のスタジオが、ゆらゆらと少し揺れるくらい、比較的大きめの地震でした。

 

そして、実際に地震が起きたその瞬間、まずは地震が来たと認識した後、即座に楽な自分の状態に戻ることを試みました。「頭が動いて、それに自分全体がついてきて、私は自分が決めていたプランを実行することが出来る。」と考えました。そして、冷静に隣の部屋まで歩いて行き、自分のかばんの中から携帯を取り出しました。その後は、揺れがおさまるまで、出来るだけ取り乱さないように、ひたすら楽な自分でいるように努めました。気付いたら、心優しいクラスメートが私の手を握っていてくれましたが、無事に揺れは収まりました。この時初めて、私は地震に対しても本気でこのテクニークを活用することが出来たのです。

 

この体験をしてから、明らかに地震が来た時の自分の反応は変わりました。今までは恐怖心に支配されて何も考えられなくなるくらいに取り乱していましたが、最近ではあまり身体が震えなくなり、鼓動が速くなることもなくなりました。

 

一体何が起きたのでしょうか?私はどう変わったのでしょうか?この体験を自分なりに分析し、次のようなことが分かってきました。

 

1)自分の身体的反応をネガティブなものからポジティブなものへと認識を変えた。

今までは、揺れを感じたと同時に現れる身体的反応を、とてもネガティブなものだと捉えていました。自分の冷静さを失わせ、行動の妨げになるものだと思っていました。しかし、キャシーの一言で、その反応こそが、実は自分を守ってくれるポジティブな物だったという認識に変わり、その反応が出てはいけないとは思わず、むしろ歓迎するようになったのです。(不思議なことに、出てはいけないと思わなくなると、それほど出なくなったのですが・・・。)

 

2)バックアッププランを実行することで、自動的な反応を抑制する

私は、揺れを感じたらまずは携帯電話を確保しようと決めました。そのように、その瞬間に次に行う行為が決まっていると、思考はそちらへ動きます。そして、単純に、携帯電話のある場所への移動を開始することになります。つまり、行動が決まっていると、自動的な身体的反応が始まる前に、既に行動を開始することが出来るのです。今までは、揺れをきっかけに「恐れおののく」というような図式が出来上がっていましたが、あの体験以降は、揺れをきっかけに、「必要な物を確保(携帯電話、身の安全など)する」という次の行動にさっと移れるようになったのです。つまり、思考や行動を停止させるような自動的な身体的反応に、起こるスペースを与えない、というようなイメージです。

 

もちろん、それが家ではなく外出先で起きたり、とても大きな揺れだったり、家族と離れていたりすると、冷静でいるのは、私にとってはまだまだとても難しい事です。しかし、このように認識を変え、反応が出るスペースを与えないというやり方で、明らかに揺れに対する反応は変わってきています。

 

最近では、少し遠くに外出する時には、必ず軽食と飲み物、懐中電灯、携帯電話の予備充電池と『震災時帰宅支援マップ』なるものを持ち歩くようにしています。そして、ほとんどどんな時も長時間歩いても痛くならないような靴を履くようにしています。マップなどは、実際にそれを使いこなせるかどうかは分かりませんが、少なくともそれがあるから私は大丈夫、と冷静になれる助けになります。

 

このような体験をしてから、やはりアレクサンダー・テクニークは、単なる身体を扱うものではなく、意識、思考を含めた人間全体を扱うテクニークだと納得するようになりました。

 

地震に限らず、日々刺激はやってきますが、その刺激にどうやって反応するのか、実験の日々は続くことでしょう。


 

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